
こないだ泣いた話を書いてしまったから、
心配してくれた方もいて、ちょっぴり反省してるんだけど、
自分のブログぐらい、隠さずに書く場所があったっていいかなぁ
って、もうこれは、そっとしておいてもらおうって思って。
じゃないと、パンクしちゃう。
あの時わたしは、哀しい という感情を存分に味わいたかっただけ。
実際は不幸でもなければ、苦しんでもいない。
いつも恵まれていると思ってる。
ただ、哀しいことがない訳じゃない。
哀しいことやつらいことがあったって、
それでも笑って過ごせるし、実際毎日は楽しく過ぎてゆく。
だからこそ、哀しい気持ちを丁寧に扱ってみたいなって思って。
笑えるエピソードの裏に隠してしまいたくないなって。
笑うだけの人生なんてないはずなのに幸せの法則みたいな流行本が、
なんでも感謝したり、良い方へ解釈したりを勧めているけど、
感じた事を歪めて、本当にいいの?
いろんな感情があふれてて、どうして悪いの?
相手や周りに対しての表現の仕方はわきまえないと、とは思うけど
怒りや悲しみを隠して、重くて厚いドアみたいな笑顔で
フタしてる方が不健康だと思う。
ちゃんと表現することこそ、豊かなんじゃないのかな。
逆恨みしたり、自分勝手な怒りや悲しみで
周りを振り回せって事ではなくて、どの感情だろうと、
同じものだけを放っていたら、体と一緒でいつの間にか錆ついて、
他の感情を取り出したくても取り出せない、
ワンパターンさんになってるかも知れない。
怒ってばかりいたら嫌われるだろうし、
愚痴ってばかりいたら馬鹿にされるだろうし、
笑ってばかりいたら軽んじられるだろうし。
だから、いーっぱいあって、いいんではないのかな。
毎日、美しい日が続きます。って、わたしも言ってみたい。
美しいって、悲しみも怒りも喜びも、全て含んでいる気がする。
笑っているだけではない、多くの感情、
判りにくい、ささやかな感情もあると思う。
静かにして、じっとそれに耳をかたむけて、目をとじて。
肌にふれる空気や髪の毛がゆれる感じも、全てで感じようとする。
そうしないと判らないほどの、ささやかで複雑な感情。
自分でもうっかりすると、見過ごしてしまうほどの仄かな感情。
そんなものも全て感じたい。味わいたい。
いっぱい哀しんで、涙で洗ったあとは、すっかり軽くなる。
風向きがかわる。何度も経験してきたから知ってる。
そういう時のあとって、いつも、
次の大きな段落が始まる時だったりする。
.....と、思いたい ね。
わたしは、自分が表現する言葉や選んだモノで、語りかけてきた。
それに意味があったのか、なかったのか解らないけど、
海の波みたいだなって 思う。
暗くなって見えなくなっても、波の音で、寄せては返すのがわかる。
これは怠惰でもなかったし、共感を....放棄したのでもなかった。
圧倒的に、在るってこと。
たとえ一時的に見えなかったとしても、在ったってこと。
でも、書いてみたらずいぶんスッキリしたみたい。
五月は風がいいよね。大好き。
いろんな感情を味わうには、季節を味わうのも、またいいね。