奥にある記憶

以前先輩のヒロさんからきいた「瞑想入門」って本に、瞑想を難しい精神修業と捉えないで脳の整理整頓と思ってやってごらんと、カジュアルな感覚で書かれてあってとても好感をもった。
悟りを得るとかスピリチュアルな癒しうんぬん…と不明瞭な効果については説明出来ないしよく判らないけど、頭にほりこんだ膨大なデータを整理すれば、処理能力が上がってコンディションが良くなるってイメージなら誰しも納得できるでしょ。
部屋が散らかっていたら見つからない小さなモノでも、ちゃんと日頃から整理しておけばすぐわかる。頭も一緒。無意識に溜め込んだいろんな情報・感情・思考を広げて、いるいらないをやって片付ける。
瞑想中、何も考えちゃいけないってのは誤解で、中に詰まってる(隠れてる)記録を眺める作業と思えばいいのかも知れない。部屋の掃除の例えで言えば、床に散らばってるモノ、雑誌の下に隠れてるモノ、奥にしまって忘れてたモノ、こんなのを眺めているいらないをやる。または「在る」って事を把握するだけでも全然違ってくる。これが瞑想らしい。
少しずつでも毎日やれば、書き込みメモリに余裕も出るし、何か尋ねられてもすぐ取り出せる。そういったスッキリした態度が「悟っている!」ように見えるのかもしれない。
長くなったけどホントに書きたいのはこの先。昨日泊めてもらったお宅で「カロリーヌの冒険」という童話絵本と再会した。たぶん…幼稚園以来。見るまでまーーーったく考えた事もなかったのに、見たとたん奥から沸き上がるように、一枚一枚の絵に見覚えと、その時何を感じて笑ったか、美味しそうに思ったか、奇妙に感じたか、その感覚まで戻ってきた。すごい!
人は歩くギガバイトだね~。自分の高性能ぶりに感動(笑) ま、昨日みたいなのは最高にうれしいけど、ザラっとした記憶までやたらため込まないよう心掛けたいもんだね、アミーガ&アミーゴス。