信頼をとりもどす.vol.2

そうやってクラスをいくつかいただき、コツコツと続けていくうちに、
自分の中で、自信から確信にかわっていきます。
これは素晴らしい!続ければ必ずみんなのカラダを変えるって。
・・・ところが、次なる壁がやってきます。
素晴らしいものを伝えても、聞く耳を、聞くカラダを、持たない人がいる。
これに気づいたとき、ヨガのレッスンに限界を感じ始めたんですね。
というか自分の技量の限界ですね。
そこからまた模索。自分のことは棚にあげてヨガを疑いだしたので、
それを補う、またはそれに代わるモノがあるのか、ないのか、
伝え方はどうなのか。どんな言葉を使えば、伝わるのか?って。
このココロの放浪のおかげで、運命的な出会いがありました。
それはフェルデンクライスとKJ法。神サマにありがとう~(^^).
なにがどうためになったのか、まだうまく伝えられないのですが、
フェルデンクライスのおかげで、やりたかった事がなんなのか、
ヨガ、ヨガと言ってきたけど本当はなんだったのかって事に気づき、
KJ法のおかげで、自分のモヤモヤしたそのままを、
解ったふりをして不誠実にまとめる事はもうやめて、
整理しないままダラダラ言葉にしてしまう、
または無理しないでだまっている。そんな度胸がつきました。
私にとってレッスンとは何か。こないだ書いた、エピソード、
かつて私はカラダを、すみずみまで感じることが出来なかった。
それをとりもどすために、動きはじめたら、いまは感じてる。
これ、これなんです。いま、感じているんです、じっさい。
歪んだ部分が痛いイタイってずっと言ってツラい時もある。
カラダの奥の方がどーんと重く痛い。でもこれって、大事なことなんです。
以前はそれを無視して冷たくつきはなして、イジワルしてました。
カラダだけその辛さを背負わされていた。
・・きっとその部分は、静かに絶望しかけてたと思うんです。
たとえば肩。たとえば背中、腰。太ももの付け根・股関節。
胸の奥、アバラ、背骨の近く。首、アゴの付け根、頭蓋骨・こめかみ。
いくら「痛いよ、辛いよ、苦しいよ。」って訴えても、
カラダの主は聞いてくれない。..似たような話、あちこちで聞きますよね。
会社の上司だったり、旦那さまだったり、彼氏、親、 お子さんetc......。
「私がどんなに辛いって言っても、改善してくれないどころか、
話を聞いてもくれないんです。。。」って、
これじゃあ、辞めちゃうし、別れちゃうし、家出しちゃう。
じゃあそうやって無視され続けたカラダの部分は、どうなると思いますか?
家出できないですからねぇ。。
歪みのしわ寄せを背負って、必死に耐えていくうちに、
筋肉が固まってギュ~っと硬直してくる。
痛いよぉと、もう言う気力もなくなり、ダマりこんでゆく。
せめて痛みを少しでも感じないよう、感覚を消してマヒしてゆく。
なんかこう、体操座りしてカラダをこわばらせ、
うずくまっているようなイメージですね。功労者としての名誉もない。
すんごく、、、、可哀想ですよね。これじゃ人柱ですよ、人柱。イケニエ。
よく問診なんかで「腰が悪いんです」って言ってる部分の正体です。
悪くないですよね、逆ですよね。可哀想で涙が出そうです。。。
絶望は希望をとりもどせるのか? つづく~
テーマ:心と身体のケアを大切に!
ジャンル:心と身体