Shinjiru koto ha hitotsu no power da.

子供のころ好きだったマンガ家で、水樹和佳子さんて方がいて、
そのひとの「エリオットひとり遊び」って作品が大好きだった。
その物語のクライマックスに、エリオットの独白というか、
彼の孤独・恋心・諦観・希望、才能.知性、
そんないろんなものがごっちゃまぜになった独白中の、
この物語の中核を貫いたセリフ。
「ぼくは 知ってる。信じることは ひとつのパワーだ。」
この、「知ってる」っていう感覚に、当時傾倒したもんだった。
「信じてる」よりもっと強い気がした。
迷いはみじんもなくて、純粋な魔法のコトバのような気すらした。
いいな~って思って、生意気によく分かってない事にまで使ったもんだった。
いま思うと可愛い。
でも、ひとって面白いもので、思春期に強く入ってきたものは、
その後の人生に大きな影響を与えてしまう。良くも悪くも。
そして、こないだ。ふと以前のブログを読んでいて思い出した。
5年程まえかな、caravanというアーティストのCDを後輩くんからもらい、
すっかり曲や歌詞に惚れ込んで全アルバムを買って聴くようになり、
2、3回ライブにも足を運んだりしていた。
ニューアルバムが出ると、写真付きでブログにアップしたりして(笑)
可愛いファンを地でゆくような有様で。
そうしたらつい先日、ひょんな事から飲む席に同席、
ビアを片手に乾杯を交わし、お喋りをしてきてしまった!
会ってみたら意外とあっさりしたもので、気味が悪いほど平常心なんだけど、
よく考えたら、caravanに近づきたい!と願ったことは、正直なかった。
うまく言えないけど、ただ強く彼のメッセージに賛同はしていた。
そうすると人生は、こうやって袖触れ合う瞬間を用意してくれたりする。
人生って面白いなぁと つくづく思ってしまう。
私は名古屋の高校から、東京の短大に出てくるころ、
人生で最初の「信じることはひとつのパワー」を体験し、
ぞくぞくするほど興奮して、ココロから願えばなんでも叶うような気がして、
そんな躁状態といっても過言ではない状態(笑)で、この東京にやって来た。
そして27歳でフリーランスになった時、その頃も同じく、
まるで熱病にうかされたような、ぞくぞく・ワクワク・ドキドキ、万能感に包まれ、
やってる事って言えば、PCの前でがむしゃらに仕事して、
夜は大騒ぎして飲みたおして、恋愛したり失恋したり、どうしようもないんだけど、
なんでも心ひとつでどうにでもなるような気がして、
明日の仕事も決まってないというのに、家賃を3万も跳ね上げ、
当時憧れていた中目黒に引っ越し、周りのひとにひどく心配されたりした。
でも、生きるということは、自分を味わい尽くすことと言わんばかり、
家賃なんて結局なんとかなったし、仕事は真面目に続けていれば入ってくるし、
毎日がキラキラして、楽しくて楽しくてしょうがない日々だった。
そして今。
すこしだけ、そんなパワーが陰っていたのだなぁと、
ここにきて この数年を振り返ってみると、じんわり感じてしまいます。
フリーランスになってキラキラして、ひとと出会い、家族になり、
またひとりになって自分を取り戻してゆくプロセスを経て、
やっと見えてきたこと。
のびのびとした感覚が、萎縮していたみたい。
両手を伸ばすと、指先が何かにぶつかってしまう部屋で
遠慮しながらおずおずと肘を曲げて、横に広げていたような感じ。
腕を伸ばしたいのか、伸ばしたくないのか、
中途半端で意味がなくって、自分でももどかしい、そんな感じ。
どうしてこんな、遠慮をするようになっていたのだろう?
流れ星が、スゥーっと自分の中に入ってくるような風通しのいい万能感、
その感覚を、やっとぼんやりと思い出している。
さっきのcaravan、これは信じるパワーの例のほんのひとかけらに過ぎず、
本当はもっと別のこと、
あそこに居なければ、あの人が居なければ、出会ってなかった、
そんな出会いもある。それはひとだったり、モノ、コト、だったり。
きっと、偶然の出会いはごまんと用意されていたはず。
その中で、誰に言われたのでもなく自分でつかんだモノは、
そう簡単には手放せない。ね。
そんな出会いが、自分の人生をすっかり変えてしまったり、
同じはずなのだけど、ビビッドに、鮮明に見え出してしまったり。
一度ビビッドな景色を体験してしまったら、もうくすんだ状態でいられない。
今日は何が書きたかったのか、書きながら忘れてしまったけど、
やりたい様にやればいい、ってコトが言いたいのかもしれない。
先週末、中野サンプラザでみてきた、The ピーズのライヴ。
彼らもそう。同じようなコトを歌って25周年!おめでとう♡
ヤリタイ ヨウニ ヤッタラ エエ
この言葉を、彼らは簡単に歌にしているんじゃない。
売れなくて売れなくて、なのに変に業界では人気があって、ホンモノのRockだ!
と崇められても音楽だけでは食べられなくて、アル中になって、自分のダメなとこも
全部しってるうえで、やりたいようにやったらエエ、と歌っている。
いーっぱいのやり切れない思いを味わった上での突き抜けなのだ。
まったく、カッコイイ自由人の大先輩だ。
このまま、まっすぐでも、フラフラしても、曲がってもひねっても、
鼻歌まじりで、ゴキゲンに進んでゆこう。
時どき、息があがって立ち止まったりも、自分に許しながら。
と、夜中にひとり、思ったりしています。
(亜)