Merry X'mas. Mr.Lawrence.

先週、赤坂アクトシアターで、
坂本龍一さんの演奏を聴いてきました。
「戦場のメリークリスマスは」もちろん、「ラストエンペラー」とか、
誰もが一度は耳にしている名曲もあれば、
震災後はじめて手がけた曲や、来年ドラマのために使われる曲、
YMO時代の曲をアレンジしなおして、ほぼまったく違うモノに生まれ変わった曲、
友人のアーティストに頼まれて作った曲など、いろんな引き出しから
どれも等しく大切そうに、素晴らしい演奏でお披露目してくれました。
たぶん、、、まったくミスのない、トリオでの演奏。。。。
なのに、ピリピリと張りつめた嫌な空気がないのです。
といってだらしない訳ではなく、気品があって繊細、だけど雄大でおおらか。
この矛盾した感じが、全然違和感なく融合して、
ひとつのモノとしてハーモニーされているのです。
言葉では簡単に言えますが、きっととてつもないこと。
坂本さんが居る空間自体が素晴らしい体験でした。
あと先々週、青山にある岡本太郎記念館に行った時も、
ホンモノに触れるって全然ちがうなぁって思いましたよ。

(※撮影自由なんですよ~、ラッキー♡)
今はネットや書籍でいくらでも情報を受け取れるけど、
誰かのエネルギーを感じるには、直に会わなくては決して解らないです。
直に会えないなら、せめて原画。
ネットで表面を写したり、デジタルで音を載せたり、ある部分までは伝わりますが、
ホンモノのパワーは随分省略されているんだなぁと理屈ぬきで感じます。
来年はもっともっと、好きなモノ、好きなひと、好きな場所に、どんどん愛に行こうっと♡
最初の写真は赤坂サカスのイルミネーションです。
時おり、キラリと流れ星のようにヒカリが流れてゆきます。
とってもロマンティックで、きれいでしたよ。
☆

ここから、少々別のはなしへ。
岡本太郎の生き方にふれるにつれ、型破りでありながら、
とても一生懸命な努力家だったんだなぁと思えてならない。
そして彼の表現を見ていると、どうしてもピカソの存在を感じてしまう。
岡本太郎が悔しくて、超えたくて超えられなくて、
でも視界から消す事が出来なくて、生涯ジタバタした相手は
ピカソだったんじゃないかなって、思えてしまうのです。
というか、多くの画家にとって彼はそんな存在だったのではないのかな。
ピカソの後と前では、絵画の世界はとてつもなく大きく
覆されてしまったのではないのか、と思う。 良くも、苦しくも。
彼自身は楽しみ・チャレンジ・変容として周りを見回しているのに、
周りにとってのピカソは恒星のように引力が強く、またはブラックホールのように不気味で、
振り回され、飲み込まれ、押しツブされ、すっかり消耗し奪われてしまう。
そんな風に消えていった若い、、または老いた才能はごまんとあったんじゃないかな。
本人に会ったことなんて一回もないのに、作品のパワーにコテンパにされちゃった人も。
天才は時におっかないですね。
度を超えた、天才。、、、なのに、人として、俗物。
こんな事を書くて叱られそうですが、似た人が居ますね。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
ピカソとモーツァルトのスケールって、ちょっと似てません?
ウィキってみたら面白かった。
だから何?で、おちはないんですけど、ピカソをゆっくり観てみたくなりました。
どこにゆきましょうか、ね。
美術館でいうと、ニューヨークとフランスにふたつづつ、
彼の作品を多く所有している場所があるみたいです。ううむ。。。悩む。
そうだなぁ、、ガウディの教会もこの目で、この手で、触れたいし、
ピカソを生んだスペインにもいってみたいたい~。
もし私に、お金と時間が訪れたなら、ピカソを巡る世界旅行にゆきたい。
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ピカソの絵画集/時代別
パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シブリアーノ・センティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ/wiki
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト/wiki